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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)4631号 判決

原告

佐多正規

被告

右代表者法務大臣

瀬戸山三男

右指定代理人

岩渕正規

(ほか四名)

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  申立

一  原告

被告は原告に対し一六万八〇五四円を支払え。

二  被告

主文と同旨

第二  原告の主張

一  原告は、東京都北区浮間五丁目一一番四号所在の近代製本株式会社(以下「訴外会社」という。)に雇用されていたものであるが、昭和四八年一〇月一五日池袋労働基準監督署の高田勇労働基準監督官に対し、訴外会社の左記労基法違反の事実を申告し、その是正のための職権行使を求めた。

(一)  訴外会社は、その就業規則二七条に基づく給与規則一三条において、従業員に対する皆勤手当として基本給の二日分を支給する旨定めていたが、何ら合理的理由もなく、かつ一方的に右規定を定額三〇〇〇円を支給する旨労働者に不利益に変更し、これを昭和四七年四月一日から実施した。

(二)  訴外会社は、原告との労働契約において、(イ)午後七時から翌午前四時までの夜勤については、基本給の四〇%増、(ロ)夜勤につぐ午前四時以降の夜勤残業については、基本給の七〇%増の各割増賃金を支払う旨定めているが、労基法三七条所定の午後一〇時から翌午前五時まで労働させた場合に関する深夜手当についての定めがなく、現に深夜手当の支払をしていない。

二  原告は、

(一)  前項(一)の申告に当っては、裁判例及び文献を引用してそれが労基法違反であることを説明し、かつ右給与規則改正の結果労基法三七条所定の割増賃金、同法一二条所定の平均賃金の算定、厚生年金保険法二〇条、二四条所定の標準報酬月額及び失業保険法一七条所定の失業保険金日額の決定につき不利益を生じ、現に原告に対する厚生年金、失業保険金等の支給停止を来していることを明らかにしたが、高田監督官は「どうだかわからん」と答えたのみで何らの措置もとらず、

(二)  前項(二)の申告に当っては、労働基準局長回答、同通牒を引用したうえ、深夜勤務は、前記夜勤及びこれに続く夜勤残業勤務以上の注意集中度が必要とされるものであるから労基法三七条所定の深夜割増賃金は前記夜勤及び夜勤残業割増賃金と併給するのが合理的であること、右のように併給された場合においてもなお、訴外会社の給与水準は、労働大臣官房統計情報部編「賃金構造の現状」中に示された企業規模計一〇〇―九九九人の所定内給与額(勤続二・二年)や同業各社の給与水準より低いばかりか都内における臨時雇の賃金よりも格安であることを説明したところ、高田監督官はこれに同意したものの、その際原告が、割増賃金を正確に算定するためには訴外会社に賃金台帳及びその裏付となるタイムカードを提出させる必要があると考え、同監督官に対し、職権をもって右賃金台帳及びタイムカードの提出を求めるよう具申したところ、同監督官はこれを拒絶し、またその際、原告が同年九月三日右監督官に対し、訴外会社が原告に対し、その請求にかかる割増賃金を支給すべき旨回答した昭和四八年八月二七日付書面中において昭和四六年八月以前の割増賃金については消滅時効が完成したとしている点を指摘したうえ、原告が訴外会社に請求した割増賃金は不法行為を原因とする債権であって当事者間の合意によって発生した債権ではないから、この債権の消滅時効は、原告の訴外会社に対する請求により賃金額が確定したときから起算すべきであり、しかもその時効期間は民法七二四条又は同法一六七条であるべき旨説明したところ同監督官が民事事件にしてくれと答えたことについても触れ、右のような債権について労基法一一五条を適用して労働者に不利益な処理をすることについては担当監督官にも責任がある旨述べたところ、同監督官はいらだつばかりで原告に対して何の応答もできなかった。

三  以上に述べた訴外会社の就業規則の変更、深夜割増賃金を含む割増賃金の不払はいずれも違法であり、原告は、この訴外会社の不法行為によって合計一六万八〇五四円の損害を蒙った。

四  高田監督官は、訴外会社の前記就業規則の一方的不利益変更が労基法二条に違反することを知りながら何らの措置もとらず、深夜割増賃金の不払が労基法三七条に違反することを知りながら、賃金台帳並びにタイムカードの検査もせず、更に前記のように使用者の不法行為に基づき発生した債権についても労基法一一五条が適用されるとの見解を固執して、訴外会社の不法行為を幇助した。

五  よって被告は、国家賠償法一条一項、四条及び民法七一九条の規定により、原告に対し前記一六万八〇五四円の損害を賠償する義務がある。

第三  被告の主張

一  原告主張の一の事実については、冒頭記載の事実のうち原告がその主張の日に高田監督官に対し訴外会社に労基法違反の事実ありとして申告したこと及び(二)の事実は認め、その余の事実は否認する。同二の事実については、当日原告と高田監督官との間において消滅時効に関する応答があった事実のみ認め、その余の事実は否認する。同三ないし四の事実並びに主張はすべて争う。

二  原告は、右昭和四八年一〇月一五日の申告に先立ち、同年八月二三日池袋労働基準監督署に対し、訴外会社の原告に対する割増賃金の算出根拠に誤りがあり、深夜手当の支給が同社の給与規定の定める率と異ることその他の諸点について申告したため、担当の高田監督官においてその調査を進めたところ、同年八月二九日訴外会社から割増賃金の不足分八万六二二五円を原告に支給する旨の報告がなされた。そこで高田監督官においてこれを検討したところ、右追加支給分は時給単価の計算に当り皆勤手当等の諸手当を算入しており、夜勤手当として労基法三七条所定の率を上廻る四〇%増、夜勤残業手当としても同様七〇%増の割増賃金が支給されていることが確認されたためこれを妥当と認め、訴外会社に対し至急原告に支給する一方原告に対してもその旨を通知した。その結果同年九月八日にいたり訴外会社から、右のとおり原告に支給した旨の報告がなされた。なお、この間同年九月三日原告から高田監督官に対し、訴外会社の右割増賃金は原告の計算によれば一〇〇〇円余不足の違算がある旨の申出がなされたので、同監督官はこの旨を訴外会社に連絡した。

三  以上のとおりであって、高田監督官が原告の前記労基法違反の申告に対してこれを放置した事実もなく、まして訴外会社に加担して原告に対する賃金不払を幇助した事実もない。

第四  証拠関係は、本件記録中の証拠目録調書(略)記載のとおりである。

理由

一  原告が昭和四五年一一月一日に訴外会社に雇用されたことは、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨を総合すれば、これを認めるに充分であり、また原告が昭和四八年一〇月一五日池袋労働基準監督署の高田監督官に対し、訴外会社に原告主張一の(二)掲記の労基法違反の事実がある旨の申告をしたことは当事者間に争いがない。この事実と、(証拠略)を総合すれば、原告は、昭和四八年一〇月一五日に右のとおり原告主張一の(二)掲記の事実を申告すると同時に、(一)訴外会社が原告主張のとおり就業規則に基づく給与規則の一部を変更したことが労基法に違反する旨申告し、(二)訴外会社が原告に対し、その請求にかかる割増賃金を支給すべき旨回答した昭和四八年八月二七日付書面に関し、原告は同年九月三日高田監督官に対し、右回答における割増賃金の計算の正当性を確認するため訴外会社に対し賃金台帳及びタイムカードを提出させてこれを検査する必要があること及び訴外会社が右回答中において昭和四六年八月以前の割増賃金については消滅時効が完成したとしている点について、労基法一一五条は適用されず民法上の時効の規定が適用されるべきである旨申述べていたが、一〇月一五日においても高田監督官に対し右と同旨の申述をしたこと(一〇月一五日に原告と高田監督官との間において消滅時効に関する応答があったことは当事者間に争いがない。)が認められ、高田証人の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に対比してそのまま採用することができないし、他に右認定を妨げる証拠はない。

二  原告は、右のとおり高田監督官に対し、労基法違反の事実を申告し、賃金台帳等の検査の必要性並びに消滅時効についての意見を具申したにかかわらず、同監督官はこれに対して何らの措置をとらず結局訴外会社の原告に対する皆勤手当及び割増賃金等不払の不法行為を幇助したと主張するので、この点について見るに、訴外会社の原告に対する不法行為の成否は暫く措くとして、原告が主張する高田監督官の不作為によって幇助による共同不法行為が成立するというためには、右不作為が高田監督官の作為義務に違反したものであることを要するところ、労基法一〇四条一項は、労働者は、事業場に同法又は同法に基づき発せられた命令に違反する事実がある場合にその事実を行政官庁又は労働基準監督官(以下「監督官等」という。)に申告することができる旨規定するのであるが、右にいう申告が労働者が監督官等に対してする労基法違反の事実の通知又は通報を意味するものであることは法令の通常の用語例に照らして明らかであるのみならず、これと労基法が右申告に対応する監督官等の義務として、同法所定の事実の調査その他職権の行使をなすべき旨の規定を設けていないことを併わせ考えると、右申告は、監督官等に対し、単に労基法所定の監督権の発動を促すだけの意義を有するにすぎないものと解されるのであって、右のように労働者の労基法違反の事実の申告に応じ監督官等が監督権を行使すべき職務上の義務を負担するものでない以上、高田監督官が原告がした前記労基法違反の事実の申告及び意見の具申に対応した監督権の行使をしなかったからといって、それが直ちに原告の主張する訴外会社の不法行為の幇助にはならないのであるし、そのほかに原告は、高田監督官が原告の主張する訴外会社の不法行為に積極的に関与し、これを容易ならしめたことについては何らの主張も立証もしないのであるから、原告のこの主張は、爾余の判断を用いるまでもなく失当たるを免れない。

三  そうして見ると、原告の本訴請求は他の争点について判断するまでもなく理由がないことに帰するから、これを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 原島克己)

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